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山内一豊公初所領の地 顕彰碑

山内一豊(1545~1605)

天正元年(1573年)の浅井氏滅亡により、秀吉の家臣であった一豊公は、戦功の褒美として、近江唐国400石を与えました。唐国は秀吉の領地となった長浜の近隣地であり、北国街道の一駅として交通の要衝の地でもありました。一豊公が待望の領主となり、武将としての出発点に立ったのが、この虎姫町でした。

【一豊公と千代様の年譜】

年次 主な出来事
天文14年(1545) 一豊公、生まれる。
弘治 2年(1556) 千代様、生まれる。
永禄 2年(1559) 岩倉城落城、父・盛豊公戦死。一豊公15歳。
永禄 3年(1560) 桶狭間の合戦。
元亀 元年(1570) 千代様、一豊公に嫁ぐ。
天正 元年(1573) 一豊公、豊臣(羽柴)秀吉公に与力として仕える。
秀吉公に従って朝倉攻め。
唐国(虎姫町)に四百石の知行地を受け、初めて領主になる。一豊公29歳。
天正 3年(1575) 秀吉公に従って長篠の合戦に出陣。
天正 5年(1577) 秀吉公に従って播磨に移り、有年(赤穂市)で七百石加増、続いて二千石を領する。
天正10年(1582) 秀吉公に従い、備中高松城攻撃。
本能寺の変。山崎の合戦に従軍。一豊公38歳。
天正11年(1583) 秀吉公に従い、伊勢亀山城包囲戦、賤ヶ岳の合戦に従軍。
天正12年(1584) 小牧・長久手の戦いに従軍し「羽黒城」「楽田城」(犬山市)の城主として布陣。
長浜五千石の城主に。
天正13年(1585) 紀州征伐に参加。一万九千八百石をうけ高浜城主に。
長浜二万石の城主となる。豊臣秀次公補佐に任ぜられる。一豊公41歳。
天正18年(1590) 小田原城攻めに参加。北条氏を滅ぼし秀吉公全国統一。
掛川五万石の城主となる。一豊公46歳。
慶長 5年(1600) 関ヶ原の戦いに従軍。土佐高知二十万石の城主となる。
慶長10年(1605) 一豊公死去、享年61歳。
元和 3年(1617) 千代様死去、享年61歳。